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小話その20(茶漬けえんま)[最小可聴値]
 上方の新作落語です。この噺、キリストや釈迦、日蓮他の聖人とされている人をこんなに俗っぽく描いていていいのやろかと思うぐらいです。"キリストはん"なんかは右のほっぺたを殴られたら左のほっぺたを出すぐらいに我慢しているので、こういう人は大抵、酒を飲んだら酒癖が悪い。酔っぱらって胸の傷を"見てくれ、見てくれ"という、……。

 さて噺は、朝に閻魔が茶漬けを食べているシーンから始まります。というのは夕べ、町内会の寄り合いがキリストはんの家であったのですが、終わった後のキリストはん主催の宴席で食べたすき焼きの肉が悪かったのと、帰り道、釈迦君の家で口直しに精進料理を食べさせてもらおうと思ったら、釈迦はインド生まれなんでカレーを出されて、これまた悪い肉。キリストはんも釈迦君も質素な暮らしをしているから仕方がないけど、胃がもたれた。それで翌朝あっさりした茶漬けを食べていたのです。
 この閻魔さん、代々受け継いだ閻魔職の世襲に対する世間の非難もありましたが何とか閻魔職についたということで、朝はゴミを家の外に出して背広姿で出勤し、極楽・地獄への選り分けは自己申告制で特に不審なものだけ調査するという、現世の税務署のようです。
 自己申告だったら、みんな極楽に行きたいだろう、というとそんなことはありません、と噺は極楽の音環境に入ってきます。
 「第一、極楽は静かすぎて暮らしにくい。普通の静けさと違うで、……(中略)……蓮池(はすいけ)あるけどね、蓮池でね、蓮の花が(小さい声で)ポッと咲くあの音が(声を大きくして)グワーと響き渡るぐらいの静けさや、どれぐらいの静けさかわかるやろ、……」

 極楽は静かすぎるらしいようです。しかし、我々音響技術者にとっては"静かすぎる"というのは興味深い状況で何か実験したくなります。
 そうですねえ、人はどのくらい小さな音まで聞こえるかという、最小可聴値を調べる実験をしましょうか。

 人間はどのくらい小さな音まで聞こえるかというと、それは最小可聴値といって下図に示すとおりです。縦軸は音圧レベル(dB)[音のエネルギー]で横軸は周波数(Hz)[音の高低]です。この図は無響室という響きのない部屋で測定したものです。1kHzでは0dB付近です。31.5Hzでは60dB付近と1kHzで聞こえる100万倍のエネルギーでないと聞こえません。



 あれ?、私の会社で使用している騒音計(マイクロホン)の下限値は28dBです。最小可聴値なんかはどうして測るのでしょうか。
 私にはわかりませんので、畏友 瀧浪弘章さん(補聴器と音響振動計測器のリオン株式会社)に聞きました。以下、その説明です。難解かもしれません。

北川「もしもし、なんでもおじさん、マイクロホンはどうするのですか?」
瀧浪「自己雑音の少ない特殊なマイクロホンを使います。さらに自己雑音レベルは、信号音
  付近の狭い帯域のフィルタを通せば、自己雑音を相当下げることができるので、純音を
  使って最小可聴値を測定するときでも、十分なS/N比を確保できます。」
     S/N比:信号(S)と雑音(N)の比
北川「なるほど、自己雑音の合計が大きくっても、最小可聴値の測定対象周波数近傍のみを
  分析すれば信号音と雑音のレベル差がはっきりでるんですね。」
 (下図はイメージ図です)



北川「続いて聞きたいんですが、おじさん。最小可聴値を測定できる場所は日本であるので
  すか?」
瀧浪「そのおじさんはやめてくれませんか。実際に測定できる場所は沢山あると思います。
  最小可聴値の国際規格ISOの改正にあたっては、日本での研究成果が大きな貢献を果たし
  ました。」
 もつべきものは友達です。

追記
"マイナスdBの無響室"という記事を見つけました。厚木市にあるNTTの研究所内の無響室です。空調運転時において-2.5dB(A)ということです。ほんとにシズカーな世界です。これを極楽の世界というのでしょうか。無響室を真っ暗にして一人で一晩過ごすなんてとっても出来ないでしょう。

参考、1)桂 枝雀、茶漬けえんま
   2)鈴木陽一、竹島久志、"最長可聴値と等ラウドネス曲線をめぐる最近の話題"
   (日本音響学会誌、58巻2号(2003))
   3)福満英章、榎本国次、平原達也、"マイナスdBの無響室"(音響技術 120巻(2002))

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小話その19(崇徳院すとくいん)[短歌・俳句]
 ある大家の若旦那、丁稚を連れて高津さんへお参りの帰り道、絵馬堂の茶店で一服していると、後からお供を連れたキレイはお嬢さんも茶店にやってきて、先に出て行かはった。後を見ると、緋塩瀬(ひしおぜ)の茶袱紗(ちゃぶくさ)が忘れたある。若旦那が立って行って、これあんたはんのと違いますかと手から手へ渡してあげると、お嬢さん、茶店に戻ってきやはって、料紙(りょうし)に"瀬を早み、岩にせかるる滝川の"としてある。下(しも)の句が"割れても末に逢わんとぞ思ふ"それが書いてない。今日は本意(ほい)ない別れをいたしますが、いずれ末には嬉しうお目にかかれますようにという、先様のお心かいなと思うと、若旦那ファーとんなってしもて寝込んでしまう。
 父親が聞いても、母親が聞いても話さんのを、幼なじみの熊五郎さんが聞き出す。
旦那「これから探しに行きなはれ。これを首尾よう探し出してきてくれたら、このあいだ、お前(ま)はんに貸した金、あの証文そっちへお返し申す。別に一時のお礼もさしてもらう。さあ早う、……(中略)……三日だけ待ったげる。」
 熊五郎さん、一生懸命、欲と二人連れで、二日二晩というものは寝食を忘れてぐるぐる歩きまわったが、どうも知れまへん。その女房。
女房「黙ってて歩きまわってたんかいな。こんなアホやとは思わなんだ。その崇徳院さんの"瀬を早み"とか何とかいう歌を大きな声を出して歩きなはれ。ひょっと手がかりがつかめんもんでもないのに……。風呂屋さんとか床屋さんとか、人さんの大勢集まるところへ行て今の歌を言うてたらええんや。わかってるな。」
 三日目は熊五郎さん、風呂屋を26軒に床屋を18軒と廻りまして、日が暮れになると目もゴボッ、頬もげっそり、
 熊「ごーめーん」
 床「へえお越し、……あの人また来たで、朝から六ぺん目や。」
 熊「瀬をーはやみ」
とまたうなっているところへ、男やってきて「恋煩いのお嬢さんの家から頼まれて、"瀬を早み……"だけが頼りや」てなことをいう。熊五郎さん、相手の胸ぐらつかまえて、
 熊「お、おのれに会おうとて、艱難辛苦(かんなんしんく)は如何ばかり……」
と、とうとう相手を見つけるのでした。

 この噺では短歌が重要な要素になっています。
2003年に90歳で亡くなられた日本画の大家の奥田元宋さんには短歌の著作がありまして、今回はこの本をご紹介したく思います。ご存じのとおり、奥田元宋さんは1912年に広島で生まれまして、日本芸術院会員、日展常任理事を歴任、文化勲章を受章されておられます。京都・銀閣寺の庫裏・大玄関及び弄清亭障壁画を作成しておられまして、私も弄清亭障壁画を一度拝見いたしました。
 先日、私がたまたま宿泊しました旅館(広島県竹原市の加茂川荘)に奥田元宋さんの短歌集がありました。"エライ人は何をしても一流なんやなあ"と読んでいますと音を読み込んだ短歌がいくつかありました。ここでは二首ご紹介いたします。一つは宮中歌始めに選ばれたものです。短歌によるサウンド・スケープをご堪能下さい。

○彩れる秋写さむと山峡(やまかひ)に木葉時雨(このはしぐれ)の音をききをり
 (昭和56年宮中歌会始)
○我が業のつたなかりけり屋敷川のかそけき音に耳をすませば

 さて、音響学の分野では永幡幸司氏(福島大学)によって"俳句に詠み込まれた音環境を、統計的に分析する"試みが行われています。
 永幡氏は俳句に表現されている「音」、その音が聞かれた「地域」、そして俳句が詠み込まれた「季節」についてカテゴリに分類しています。例えば「朝晴れにぱちぱち炭のきげんかな…一茶」という俳句は、音は「生活」、季節は「冬」、地域は「家」というように分類されます。収拾した時代は「江戸」、「近代」、「1980年代」、「平成」となっています。
 分析した結果、次のように言っておられます。
"時代と共に減少している音は「鳥」である。「野」に聞かれる「鳥」の鳴き声という組み合わせが、すべての季節で減少しているのをはじめとして、「山」、「家」、「海」等々、様々な地域で、様々な季節の「鳥」が減少している。「鳥」の俳句の中での詠まれ方をみると、「鳥」の鳴き声に季節らしさを感じ、それを主題としてそのまま詠み込んでいる句が、数多く見られる。「百舌鳥鳴けり没(い)りてなほ日は墜ちゆけり…千代田」
 一方、増加傾向にある音は「声」である。「声」は直接季節や地域を象徴することはない。(中略)。日本人は、時代の流れの中で、音の持つ象徴性を読みとくという文化を失いつつあるということである。(後略)"
 新聞の短歌・俳句の投稿欄も"音"の視点、また他の視点から読んでみるとおもしろいのかもしれません。

参考、1)桂米朝全集(創元社、昭和56年)
   2)奥田元宋短歌集 豊饒の泉(1997.読売新聞社)
   3)永幡幸司他、"歳時記に詠み込まれた音環境の時代変遷の統計的分析(第2報)"
   (日本音響学会誌53巻1号)

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小話その18(どうらんの幸助)[鉄道騒音]
 胴乱(どうらん)、今の言葉でウェスト・ポーチのことです。「ウェスト・ポーチの幸助」。これではしまりませんね。やはり胴乱の幸助といきたいところです。

 明治の初期の噺でが、この幸助さん、なかなかの苦労人で若い自分に丹波篠山(たんばささやま)から天秤棒の先に天保銭3枚結びつけて大阪へ出てからは、働く、働く、贅沢とか無駄なことはここから先もせず、今では割木屋の店を買うて奉公人の三人も使うようになったっちゅう、なかなかえらい親爺さんです。そのかわりこの世に何の楽しみもないような人で、芝居や浄瑠璃見たこともない、寄席へ行って話きいたことなんか一ぺんもないというぐらいです。たった一つの道楽は人の喧嘩の仲裁をすることです。
 人の喧嘩していることろへパッと飛び込んで「おいお前らわしを誰や知ってるか」、「あんた割木屋の親爺さんでんなあ」、「おっ、うれしい奴や、この喧嘩わしに預けるか」、「へえ、お任せします」、「よっしゃ、ちょっとつきあえ」ちゅうて近所の小料理屋へ引っ張って一杯飲まして手打ちさして「仲良くせえよ」、と胴乱から財布を出して支払うというのが楽しみなのです。

 その幸助さん浄瑠璃の稽古屋の前を通り掛かりますと、「柳の馬場(ばんば)押小路(おしこうじ)、軒を並べし呉服店、現金商い掛硯(かけすずり)、虎石町の西側に、主は帯屋長右衛門……」と浄瑠璃お半と長右衛門の心中話「お半長」という嫁いじめの場面の稽古に出くわします。幸助さん、これはいかん、いや自分の活躍の場と稽古屋に乗り込みますと、京都の話と言われる。その時分、大阪京都の間にもう汽車がついておりましたが、まだ三十石の方もまだ淀川を上り下りしていました。旧弊な親爺さんですから三十石で京都の伏見の虎石町西側の帯屋さんへやってきます。
 「アー、ここやな。ごめんなはれ」と入っていきますが、当然、相手のお店の番頭さんは面食らってしまいます。話がかみ合いませんのですが、番頭さん、幸助さんの話を聞いていくと、これがお半長の話。
 番頭「アッハッハ、あんた忙しいのにもう、そんな、ようそんな阿呆なこと、アッハッハ」
 幸助「何がおかしい」
 番頭「何がおかしいて、お半長右衛門なんてあんたとうに桂川で心中しましたがな」
 幸助「エッ、死んでしもたか、しもた、汽車で来たらよかった」

 さて、鉄道騒音。道路交通騒音と共に交通騒音の代表的なものの一つです。そのため、新設の鉄道、また高架事業などでは、環境影響評価として鉄道騒音の予測を行います。
 鉄道の騒音レベルは何で決まるかと言うために、よく使われる森藤氏らの予測式を見てみましょう。この式を見ますと、発生源として、
 (1)転動音(車輪とレールとの間で発生)
 (2)構造物音(高架橋で発生)
 (3)モーターファン音(冷却用ファンから発生)
の3種類があります。実際にはこれらの音源のさらに細かいデータを入力して予測点での騒音レベルを計算します。
 データとしては、線路からの距離(当然ですねえ)以外に車両の長さ、速度、モーターファンが外扇型か内扇型か、ファンのギア比、スラブ軌道かバラスト軌道か、遮音壁はあるのか、あれば吸音処理しているかどうか等々、データの収集が大変ですし、鉄道会社の人の協力も必要です。
 
一方、軌道近くにマンションを建設する際に、居室内での騒音予測をすることもあります。この場合は、現に列車が通過していますから、その騒音を測定し、パワーレベル(原単位)を推計して、パワーレベルを基に任意の居室窓面での騒音を予測します。列車を有限長線音源に見立てて予測することが多いようです。

 我々の測定した結果では、セ・リーグのH電車は99.5dB/m(6両)、元パ・リーグH電車は104.9dB/m(8両)、元パ・リーグN電車は102.5dB/m(6両)、愛知のM電車は104.2dB/m(4両)でした。対象電車は特急等の問題になりやすい車両を対象にしています。
 もちろん、同じ鉄道会社でも場所によって車速も違いますし、線路の線形(まっすぐとか曲がっているとか)、線路の維持管理によっても大きく異なります。だいたいの感じを掴んで頂ければという程度のこととお考え下されば幸いです。

参考、1)米朝落語全集第5巻、創元社、昭和56年
   2)森藤ら、"在来鉄道騒音の予測評価手法について"、騒音制御20巻(1996)3号PP32-37)


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小話その17(古今亭志ん生)[音声認識]
 五代目古今亭志ん生さん(1890年〜1973年)。先年亡くなられた古今亭志ん朝さんのお父さんです。私より年配で関西以外の方では志ん生さんをお好きな方が多いようですが、関西人の私も大好きです。よく志ん生さんは「私の話は出たとこ勝負ですから、、、」と言っておられましたが、噺も台本どおりというのではなく噺の流れるままにしゃべる、というのが何とも魅力的でした。

 私は騒音調査の仕事をしていますが、常々私も志ん生さんのように「出たとこ勝負」でかついい仕事をしてみたいものだと思っています。もちろん志ん生さんが稽古熱心で芸に対しても真摯であった、ということを知っての話です。
 現在残っている志ん生さんの噺は1961年暮れに脳出血で倒れてからの高座の録音が多いようです。そのときの志ん生さんは70代ですし病み上がりでもありますので、噺を聞く聴衆は温かく、親戚の古老の話を聞くような雰囲気です。

 さて、志ん生さんの録音、倒れる前は言葉もしっかりしておられたのですが、復活後は語調が弱く、当時の録音技術も悪く、演芸場の客席のざわめきなどの反響も十分すぎるぐらい入っていますので、ときどき言葉が聞き取りにくいことがあります。特に、自分自身の体調が悪いときには聞き取りにくいように思います。

 現在では、深層学習(ディープラーニング)に基づく人工知能が発達しましたので、志ん生さんの落語もコンピューターが文字化できるかもしれません。
 以下、門外漢ですが、こんなことではないかと思ったことを記します。
 ネットにあるデジタル大辞泉の解説では"深層学習とは、コンピューターによる機械学習で、人間の脳神経回路を模したニューラルネットワークを多層的にすることで、コンピューター自らがデータに含まれる潜在的な特徴をとらえ、より正確で効率的な判断を実現させる技術や手法。"とあります。

 図は画像認識での深層学習の仕組みの説明図です。
 インプットされた顔の図を、細かく"輪郭線を抽出"したり、"部分"に切り取ったり、"顔全体"で分析したり、いろいろな層に分けて分析するのだそうです。良く似た説明は他でも見ました。
 さて、日本音響学会誌の2017年1月号では、"音声言語処理に於ける深層学習"として、深層学習(ディープラーニング)について解説されています。これはとても難しかったです。

 画像処理での方法から考えますと、音の情報を微小時間で区切った層から比較的長い時間の層のように多くの層にする以外に、わかった言葉から不明な言葉を類推するようなことをしているようです。

参考、1) 朝日新聞2017年1月8日GLOBEのp3
   2) 日本音響学会誌、2017年1月号


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小話その16(火焔太鼓)[膜の振動]
 前回と同じく古今亭志ん生さんの口演をテキストにします。「火焔太鼓」はご案内のとおり、以前からあったものを志ん生さんが改作された噺です。

 (古)道具屋の甚兵衛さん、正直だけが取り柄。お客が「この箪笥いい箪笥だなア、古いけど」ッたら、「いい箪笥ですとも、うちの店に...六年もあるんですから」と言う。お客が「この箪笥の引き出しちょいッとあけてみてくんねえか」と言えば「すぐあくくらいならとうに売れちゃってるんですよ」と答える。
 こんなお店ではその女房のほうがよっぽどしっかりしていまして亭主に始終あたっている。
 ある日のこと、甚兵衛さん、一分で古い太鼓を買ってきた。女房それを聞いて「まア...そんなものを一分で買やア一分まる損だ、そんなものを買う人があるもんか」とボロカス。
 甚兵衛さん、丁稚に太鼓の埃(ほこり)をはたくように言いつける。丁稚が往来で埃をはたくと太鼓が鳴り、どんどんどん。通りがかったお殿様が気に入って、供の者を通じて「屋敷へ持参致せ」。甚兵衛さん屋敷へ行ってみると、これが何と三百両で売れた。それは火焔太鼓といって世に二つというような名器だったのです。家へ帰って女房に言うがなかなか信用してくれない。以下、女房と甚兵衛さんのやりとりです。

「早くお見せよ」
「見せるよ、見せるからてめえ、これを見てぼんやりすンな、ええ? びっくりして坐り(すわり)小便して馬鹿になっちゃア承知しねえぞ」
「大丈夫だよウ....お見せ」
「うん。見せるから、いいか? 待ってろ、エえ? 畜生、これ見やがって驚くんじゃアねえぞ、え? 五十両っつ出して見せてやるから、いいか....これがなあ、小判が五十枚(めえ)かさなって、こオれが五十両ってんだ(右手で内懐から)見とけエ、こン畜生。なあ? これが百両てんだ」
「まっ、ちょいと、そんなの、あたしア見たことアありゃしないよ」
「.....どうだ百五十両だ」
「あア...ら....(気の遠くなる態)」
「おい、後ろの柱へつかまんな、柱へ。ひっくり返る(けえる)から、柱へつかまんなよ」
「こうやンの?(柱へつかまる形)」
「そうよ、な? ほらほらほら、ほウら、二百両よ」
「あァ...あァ...(柱へつかまった形で悲鳴をあげ、顔を上から下へ何度もこする」
「もう少しがまんしなよ、え?...二百五十両だ」
「ああ、ちょいと、お前さんは商売が上手....」
「なにを言ってやんでえ...ほらどうだ、ほら三百両」

 日頃、女房に頭が上がらない男には胸のすくような場面です。しかし実際にはこのように女房が亭主を見直すような僥倖はないのでありまして、志ん生さんのこの噺を聞く度に甚兵衛さんを羨ましく思ったりいたします。お噺はこの後、、、

女房「これからもう、音のする物にかぎるねえ」
甚兵衛さん「...なあ? こんどは俺ア、半鐘を買ってきて、たたき売って...」
女房「半鐘はいけないよ、おじゃんになる」

 さて、太鼓というのは"膜の振動による楽器"の一つです。管楽器などでは、「開口端補正、開管の共振、閉管の共振」などをキー・ワードとして基本周波数の2倍、3倍、4倍...の音が出て音の高さが明確になります。しかし、太鼓のような楽器、固有振動が倍音構成になっていませんので音の高さは不明確になります。
 図はたわみやすい均質の円形膜を一様な張力で張った場合の基本振動から第8上振動までの節線位置と周波数比を示しています。膜の振動を細かく見るとこれらの動きの合成されたものになります。
T(基本振動)は膜全体が上がったり下がったりします。これが一番低い周波数になります。
Uは膜が2分割されて白の部分が上がっているときは黒の部分が下がり、白の部分が下がって
 いるときは黒の部分が上がります。そのときの周波数はTの1.59倍です。
Vは膜が4分割されて...、周波数はTの2.14倍です。
 こんなふうにW、X、Y...の図のような膜の上がり下がりがあります。で、周波数が整数倍というふうにはいきません。複雑なんですね。
 小学生の学芸会のときなんかでは、音楽のできる子は鉄琴やアコーデオンを弾いていて、大太鼓、小太鼓は軽視されていたきらいがありますが、ジャズドラマー、オーケストラの打楽器奏者を見ていますと、打楽器の音楽全体へのインパクトの強さには驚かされます。

参考、1)飯島友治編、古典落語 古今亭志ん生(ちくま文庫、1989年)
   2)牧田康雄編著、現代音響学(オーム社、1976年))


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小話その15(鰍沢)[射撃音]
 日蓮宗総本山身延山久遠寺にお参りをした帰りに毒消しの護符をもらった一人の旅人(男)、帰りに吹雪に遭って道に迷ってしまい、やっと見つけた山小屋に宿泊を乞う。中には一人の女。この女性が色っぽいのです。志ん生さんはこんな風に演じておられます。
 "山家に珍しいこれが年頃27、8、実にい−−−−女で、こんなに力を入れなくってもいいんですが、どうもいい女っていうと力を入れたくなりますね、、、鼻筋のとおって、口元がしまって、透き通るように色が白く、髪は結んでおりますけれども黄楊(つげ)の櫛を横に挿して、茶弁慶の襟付きの着物に上から翁格子(おきなごうし)のおめし縮緬のねんねこをはおっている。、、。のどの脇にで刃物で突いたような傷がある。、、、"
 この女性、元は吉原に出ていた花魁のお熊で、心中に失敗してさらし者になった後、心中相手の男と逃げて山奥で暮らしているのでした。
 このお熊、旅人が御礼にと懐から小判を出したとき、30両ほど持っているのを見て、よからぬ事を考え、卵酒を勧める。旅人飲んで寝床に入り、お熊は近くの人家へ無くなったお酒を求めて出て行く。暫くすると亭主が帰ってきて残った卵酒を飲むと、お熊「それはダメ、毒が入っている。」と言うが手遅れで亭主は死んでしまう。隣で寝ていた旅人、驚いて逃げ出そうとするが体がしびれている。毒消しの護符を口に入れて、南妙法蓮華経、南妙法蓮華経とお題目をとなえながら逃げ出す。お熊は鉄砲を持って追いかける。旅人、山道を逃げるが崖に出てしまう。断崖。雪の下に筏(いかだ)があって飛び乗るが、岩に当たって筏はばらばらになり一本の材木にしがみつく。お熊が崖まで駆け上がってきて鉄砲を撃つ。「ドーン」弾は旅人の髷(まげ)っぷしかすめ 向こうの岩へ弾が当たって「カチーン」。旅人は無事逃げだし、「南妙法蓮華経、南妙法蓮華経、これもお材木(題目)様の御陰だ」。

 さて、撃ち損じたお熊が、次の機会のためにと、崖の上からの射撃訓練をしたとすると、遮蔽物のない高所からの大音響、今の世の中では騒音問題が発生しそうです。
 この射撃音による騒音問題、なかなか難しいのです。

(1) 評価値はどうするのか。道路交通騒音や一般環境騒音のように騒音エネルギーの平均値
 である等価騒音レベルLAeqで評価はできません。衝撃音のレベルが許容されるのか否かの
 判断が難しいところです。
(2) 音源の把握をどうするのか。音源の把握は騒音対策時の設計のために必要です。衝撃音
 は空気の急激な圧力変化ですので、伝播するに従い圧力変化はなまってきます、つまり
 高周波成分が少なくなってきます。数百mぐらい離れたところで測定するとその部分は
 大丈夫なのですが、今度は騒音伝搬時の地表面による吸収(地表面効果)が入ってきます。
 また測定点近傍の反射音の影響も受けます。
(3) 対策が難しい。騒音問題だけで言うなら内部を吸音したドラム管の中で発射してもらう
 のが、安くすみます。しかし、お熊さんの次回の実戦での射撃と同じ状況を想定すると開放
 地の方が望ましいし、実際、現在の射撃訓練では撃ち手の横にモニター画面が置いてあり、
 撃ち手はモニターを見ながら、今の射撃はうまく撃てたのかどうかを確認するようになって
 いますので土管の中というわけにはいきません。結局、ドーム状の上方も含め周囲を完全に
 囲ってしまうというのが確実ですが、費用が膨大になってしまいます。

 鉄砲をぶっ放す気丈なお熊姐さん。射撃音は耳栓をしていないと難聴になるので、茶弁慶の襟付きの着物には似合わないけれど耳栓をしてくれぐれも聴覚を保護して欲しいものです。
 志ん生さんの演じるお熊さん、容姿やら旅人への応対、口調、後半で旅人を鉄砲で追いかける行動力。いいねえ。


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小話その14(軒付け)[邦楽]
 先日、国立文楽劇場へ通し狂言"義経千本桜"を観劇してきました。午前11時開演で途中昼食・夕食他の休憩を挟み終演は午後9時過ぎ。終わったときはぐったりでした。
 文楽鑑賞は大変です。会場に入る前にパンフレットで粗筋を読んでいるのですが、会場でプログラム(床本付き)を買います。幕が開くまでにプログラムに書かれているより詳細な粗筋を読みます。そして、"床本(ゆかほん)"を読んでいきます。例えば、初段"仙洞御所の段"で義経が登場する場面は
 "程もあらせず源氏の大将源九郎判官義経(げんくろうほうがんよしつね)、院参(いんざん)のその粧(よそお)ひ、派手を尽くせし太刀飾 供は武蔵坊弁慶、大紋の袖立烏帽子(たてえぼし)、僧衣を憚る出で立ちは、実(げ)にもゆゆしく見えにける"
とあります。これを、三味線とともに太夫さんが語られるのですが、私なんかが床本を見ないで聞いただけでは、床本に書かれている文字が浮かびません。太夫さんの語っておられるのを床本に目を通しながら追っかけるのでは人形が見れないし、語りが床本の次の頁に移るときに(床本に目を通している多くの人と共に)パシャパシャと頁をめくるのはどうかという気がしてなるべく予習をするようにしています。ですから、食事などの休憩時も床本に目を通しています。まさに入学試験の日を思い出します。

 この義太夫、明治の頃でしょうか、一世を風靡したことがありまして、かの夏目漱石さんも女義太夫さんに夢中になったそうです。最近は、私のまわりでは義太夫を習っている人はいませんし、休日に文楽に行っても幾らか空席が目についきました。しかし、平成15年11月に、文楽はユネスコによって「人類の口承及び無形遺産の傑作」(世界無形遺産)として宣言されました。そんなこともあり当日(土曜日)の当日券は椅子席のみという盛況でした。

 この文楽、人間国宝の方も多く、太夫さんでお一人、三味線でお一人、人形遣いではなんとお三人までが人間国宝です。ですから演者も年配の方も多く、世間ではもうそろそろ定年かと思われる60歳ぐらいの人も文楽の世界では今が働き盛りというぐらいで、世間とは歳の感覚が10年から20年ぐらいずれているようです。
 標題の「軒付け」という噺は義太夫が盛んだった頃の噺で義太夫好きが寄り集まって、托鉢のように知らない家の前で義太夫の稽古をするのですがなかなかうまくいかずとんちんかんなことになってしまうという噺です。さきほどの夏目漱石さんのエピソードなどは桂米朝さんの「軒付け」での枕にでてきます。

 さて、音響学というのはもともと西洋で発達していましたので音楽音響の研究も洋楽を主に対象としていますが、洋楽・邦楽との比較も行われています。
 弊社の小島君が学生時代に柳田先生の指導下で行った、洋楽(ベルカント)と邦楽(能・狂言・声明など)を比較した研究があります。これによりますと、時間的変動については、洋楽では基本周波数および強さの変動がほぼ周期的で安定している(ビブラートを思い出して下さい)のに対し、邦楽ではそれらは多くの例において多様に変化し、またその変化も安定したものでない、とのことです。音響的特徴として母音のホルマント(卓越周波数のようなもの)を分析した結果は洋楽・能・狂言などでその特徴が異なる結果となっています。これらのことが、洋楽の歌唱法を用いた日本語歌唱と比べ邦楽のそれは言葉がはっきり聴こえるという主観的印象が生じるのでしょうか。この歌唱の研究はこれまでデータベースが少なく研究が進まなかったようでして、これからの分野のようです。
(平成19年現在での国立文楽劇場での公演では、レーザーによる字幕を舞台の上方に投射しています。随分落ち着いて鑑賞できるようになりました)

参考、1)小島健二、三浦雅展、柳田益造、邦楽と洋楽における歌唱母音の音響的特性および
   時間的変動の相違、日本音響学会音楽音響研究会資料AA2004-14(2004年2月))


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小話その13(花見の仇討ち)[難聴]
江戸落語。
 昔は"花見の趣向"という"仮装"があったそうで。その時分の話です。

 長屋の男四人。見てる連中が"あっ"と言ったきり二の句の継げないような趣向ということで、仇討ちを考える。
「仇討つ奴、こら二人だ。巡礼兄弟で、討たれる奴は、深編み笠の浪人、てなもんでな。仲裁(とめ)に入るのが六十六部ってなもんだ。どうだ……」「ん、面白そうじゃァねえか。で、どんな筋書(すじ)だい」
 一番目立つ桜の下で深編み笠の浪人がタバコをふかしている。そこを通り掛かって火を借りるのが巡礼兄弟。「率爾(そつじ)ながら火をひとつ御貸し下さい」「ささ、寄ってお付けなさい」という言葉の後、巡礼"ハッ"と気が付いた後は仇討ちの場面。刀だって竹光じゃすぐ判っちまうから、本身を使おうてンだ。十重二十重(とえはたえ)人が集まり、さんざっぱら斬り合ったところで、間を分けてはいるのが、六十六部の役。「どうぞ、ひとつ、ここのところは某(それがし)にお任せあれ。後日、遺恨の残らぬ証拠に粗酒一献差し上げとうござる」と、背負い櫃開けてみると、中には酒、肴(さかな)、三味線、太鼓が入って、あとは大一座になって、飲めや歌えのドンチャン騒ぎよ。
 当日、六部に扮した六さん、花見の場所へと櫃を背負い歩いていると、叔父さんに会う。「何だ何だ、ンな扮装(かっこう)しやがって、……。何だ、六十六部なんぞになっちめえやがったんだ、ん」「花見の趣向ですよ。ハナミのシュコオ……」「な、何ィ、"相模から四国へ行く"? とんでもない野郎だ。おふくろにもそうだんしてねえんだろ……」「仕様がねえなァ、叔父さんは……。耳が遠いんだから……」「何でもかんでもこっちへ来い」と叔父さんは家へ連れて帰る。六さん、仕様ないか叔父さん酒が好きだから飲ませて酔わしちゃえ、と二人で飲んでいたが酔っぱらったのは六さんの方。いい気持ちになって寝てしまいます。
 一方、敵討ちの現場は芝居は進んでも六さんは現れないは、十重二十重(とえはたえ)人が集まるは、巡礼を助けようと侍が助太刀を申し出るは、いまさら"洒落でござい"ったって言える雰囲気でない。
 さて、どうなることやら、はお楽しみ。

 さて、六さんの叔父さん。老人性難聴のようです。大きな騒音に曝されると難聴になるのはよくご存じのことでしょうが、「老人性難聴も、ゆっくりと進行した騒音性難聴と考えられています。聴覚を使いすぎて、細胞が疲労することが原因で起こるのです。」と大沼氏は書いておられます。
 テレビやラジオの音声を流しながら日常生活を送っているので、せめてヨメさんとの口ゲンカは難聴防止のために避けるようにしたいと思います。
注:「六十六部」廻国巡礼の一つ。男女とも鼠木綿の出で立ちで背には櫃(ひつ)を背負う。

参考、1)立川談志遺言大全集書いた落語傑作選3(講談社、2002年)
   2)大沼直紀、あなたの耳は大丈夫?(PHP研究所、1997年)


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小話その12(堪忍袋)[録音機]
江戸落語。
 始終喧嘩をしている夫婦の中に入った家主さん。喧嘩したことがない唐土(もろこし)の人の話を持ち出して言うに、「袋を縫って癪に障ることがあったら、相手に言わずにこの袋ン中へ放り込んじゃえ。袋の紐を締めて後はニコニコ笑ってろ。そうすりゃァ、喧嘩ンならないだろうから……」。
 「ヘイッ、どうも相済みません。」ということで、おカミさんに縫ってもらった堪忍袋にお互いの悪口を言い合ったらなかなか調子がいい。その話が伝わって長屋中の文句のはけ口になって堪忍袋が一杯になってしまう。最後は堪忍袋の緒が切れて、長屋中の喧嘩が飛び出して……。

 談志さんが著書で「よくできた落語(はなし)である。何たって、あの時代にもう録音機の発想があったんだもの……(後略)。」と書いておられる。
 私などは毎日の生活が精一杯で、「人より努力しているつもりなのになかなか報われない」と日頃ブーブー言っているのですが、世の中いろいろで社内にも不満なぞ言ったことがないような人もいまして、なかなかお客さんの評判がよい。
 「『聞く技術』が人を動かす」というビジネス本も読んでみましたが、性根が出来ていないので何を書いてあったのかすっかり忘れました。

 さて最近の録音機です。MDのように圧縮技術を使用した記録方法もあります。ご存じのようにこれは人の聴覚の特性を利用して聞き取れない音の情報を削除することによりデータ数を減らすようです。が、私のように古い人間にはCDのような単に12ビットとか16ビットでサンプリングしたような音が好ましく思っています。
 従来のデジタル録音は24kHzまでの周波数特性でしたがこれは皆さんが学校で習われたとおり人の耳の周波数特性は20〜20kHz(ぐらい)とのことからです。
 これには以前から「人類の発生した森林雨林で聞こえる100kHz程度までのもっと高い周波数(ハイパー・ソニック)が人に安らぎを与えるのだ。ハイパー・ソニックを聞くことによってα波の脳波が出るのだ。」とおっしゃられる方がおられます。そのようなこともあるせいか最近では周波数の上限を100kHz以上の周波数特性を実現するSACD(Super Audio CD)がソニーとPhlips社から提唱されています。
 20kHzを超える音は聞こえるのか、という話ですが、スピーカから20kHz以上の音を出そうとしても、低周波歪み音が出るなどしてなかなか実験は難しいようです。最近の研究では蘆原郁氏らの研究があり、これによりますと、22kHz、24kHzの閾値はいずれも85dBを超えていた、ということです。1kHz〜4kHzの閾値は0dB程度ですので、20kHz以上の音は非常に聞き取りにくい、ということです。
 では、20kHzの音は全然関係ないかというとそうではなく、その音圧の変化に伴い可聴域の音が現れてこれを関知するのではないか、という話もあります。

参考、1)立川談志遺言大全集書いた落語傑作選2(講談社、2002年)
    2)蘆原郁他、20kHzを超える純音の聴覚閾値測定、日本音響学会聴覚研究会資料
     H-2003-58(2003年7月))


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小話その11(口入屋)[梵鐘]
東京では引越の夢とも。
 口入屋(くちいれや)。今の人材派遣会社でしょうか。仕事の世話をするところです。
 ある布屋(古着屋)さんから「女中(おなごし)さんを一人世話して欲しい」と丁稚がやって来ます。「店には若い男が大勢居るのできれいな人が来たらもめてうるさいさかいになるべく不細工な人を」という布屋の奥さんがいいつけたのを、番頭が丁稚に小遣いを与えて口入屋からきれいな女中さんを連れて帰ってきます。噺の前半はこの女中さんを相手に番頭が「この店は給金は安いが私が帳面をドガチャガドガチャガドガチャガとしてやるから任しとき。そのかわり、夜中に寝ぼけるという癖があるんや。手水(便所)へ行た帰りなんかな、間違うて人の寝間に入るてなことがあるんや。、、、、。魚心あれば水心、」と言ってる間に目の前の女性がいつの間にやら二番番頭の杢兵衛(もくべえ)に入れ替わっていて「わたいもドガチャガドガチャガ、、」。
 おなごしさん、この後奥の挨拶も済み、今晩からこの店に泊まることが店の者にわかりますと、、番頭の一存で、さっさと店を閉めてしまいます。、(中略)。
 宵の内はわあわあ言うてますが、昼間の疲れというやつで、グーとみんな寝静まってしまいます。一番先に目をさますのが杢兵衛で、「アーアー」とあくびをしたときに、ボーンと寺の鐘が響きます。
 そう、これから噺の後半。番頭たちの暗躍?の場に舞台は廻っていきます。
 寺の鐘、実際に下座で打つのはドラのようですが、大阪の噺には鐘の音で夜の場面転換に用いることがしばしばあります。夜間に京都から大阪へ淀川を下る情景を物語る「三十石夢の通い路」もそうです。

 さて、寺の鐘すなわち梵鐘についての研究ですが私の知るところでは騒音計等を製造しているリオンに勤めておられた大熊恒靖氏の研究があります。主な発表の場が日本音響学会のなかの音楽音響研究会ではなく、騒音・振動研究会であるところは勤務先の関係かと思います。
 大熊さんの研究によりますと、減衰時間(建築音響でいう残響時間)の観点から見ますと和鐘と古い中国の鐘(1500年前後)の比較をしますと次表のように中国の鐘が一番長いようです。鐘は大きいほど減衰時間は長いのですが、中国の鐘が大きいのかと言うとそうではありません。鐘の減衰時間には大きさ以外にも鋳造技術、厚さ、形状が関係しているのですがはっきりしたことはわかっていません。
 日本に限って言うと奈良・平安から鎌倉・南北朝になると一旦減衰時間が短くなるのですが、室町以降長くなる傾向にあります。鐘を撞く周期をみると早く減衰すると次の鐘を撞く時間も短くなり、南北朝以前にできた鐘は昭和以降の鐘に比べ鐘を撞く周期は倍になっています。

時代 減衰時間の平均(秒) 鐘を撞く周期(秒)
奈良・平安
鎌倉・南北朝
室町・江戸
明治・大正
昭和・平成
56
23
44
61
90
16
16
23
不明
31
中国古鐘 131 不明
 

参考、1)米朝落語全集第3巻(創元社、昭和56年)
    2)大熊恒靖、梵鐘の音響特性(3)、騒音・振動研究会資料1995年他

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